国会議事堂赤じゅうたん物語
初登院の足元に映える赤
国会議事堂の中央玄関が開くのは、原則として二つの場合だけだ。一つは天皇陛下が国会の開会式のために臨席されるとき。もう一つは総選挙が終わって議員が初登院するときだ。
厳しい選挙を勝ち抜いた議員は議事堂正面で車を降り、大理石の階段を上って吹き抜けがある中央広間へと進む。ここには左右に一直線に赤じゅうたんが敷いてある。
この赤じゅうたんの上で、議員は当選証書と議員バッジを職員から受け取るのだ。「陛下と同じ中央玄関から登院する、と聞いたときは緊張しました。初登院のために革靴を新調し、車の中で履き替えました。赤じゅうたんを踏んで、議員バッジをつけてもらったときにはさすがに胸に来るものがありました」ある国会議員の感懐だ。
総延長4.6kmの「特別の道」
「赤じゅうたん」それは、単なる敷物ではない。すでに古代ギリシャ時代には「神の歩む道」とされていた。近代に入ると、赤じゅうたんは公式な催事にセレブリティや高官などの要人を歓迎するための歩行路になった。
国会議事堂の赤じゅうたんの総延長は4.6km、議事堂内の廊下と階段に敷き詰められている。中央部が明るい赤、周辺部は深いえんじ色、その境界にゴールドのラインが走っている。
「高価なものですから、全面新調はせず傷んだところだけ張替えます。一番新しい、状態の良い絨毯は天皇陛下の御傍聴席のある3階に敷きます。そこから2階、1階と降ろしていくわけです。まさに”おさがり”ですね」職員は語る。
よく見るとみっしりと目が詰まっている。押すと軽く指先を押し返してくる。ホテルの敷物のように靴が沈み込む感じはなく、もっと硬い質実な感触とでもいうべきか。
「国会議事堂は、ステンドグラスと、館内の郵便ポストと、ドアノブを除くすべてのものが、国産でできています。もちろん、赤じゅうたんも日本の国で織られ、納められたものです」
そう、赤じゅうたんは大阪府堺市の村上敷物謹製のウィルトン織なのだ。
厳しく融通が利かないオーダーに応えて
「昔は数社で納品していましたが、オーダーに応えることができなくて今は当社だけになりました」
村上敷物社長、村上健は話す。
「まず、織る糸が梳毛です。普通は紡毛です。表面が滑らかで美しいですが、紡毛のようにカサが出ません。国会議事堂の赤じゅうたんが引き締まっているのはそのためです。紡績の発注をして納品までに半年。発注を受けてからオーダーしては間に合いませんから常にストックしています。創建時は1社で作っていたと思いますが、その後は数社が糸を染めて納品していたので、色も少しぶれていました。20年ほど前に当社だけになってからは元見本を保管し、染色業者も同一なので、色のぶれは少なくなったはずです。

特殊な寸法で織るので、普通なら月に1500平米くらい作れるものが、国会だと1か月半から2か月で1000平米がやっとです。しかも1本もので最長70mというのがあります。機械もそのために作ります。要求されたことは断らず、どこまでできるかを考えます」
赤じゅうたんの発注も随意契約ではなく入札だ。
「でも、この色で、幅も場所によって違い、設置方法もさまざまで、しかも国会議事堂でしか通用しないオーダーに応えることができる業者は、ほとんどいないでしょう」
「ウィルトン織」へのこだわりと誇り
そうした村上敷物のこだわりの極めつけが「ウィルトン織」だ。
「ウィルトン織は、18世紀にイギリスで生まれました。ウィルトンは、この織り方が発明されたロンドンの南西部にある町の名前です。ウィルトン織は縦糸、横糸を交錯させて、それにパイル糸をからみ合わせて織り込みます。機械織りですが、手織りに近い風合いがあり、弾力があって、耐久性にも優れています。それに表面が綺麗に仕上がり、シワと形くずれが起こりません。
1950年代に入ってタフテッドという技術がアメリカで生まれました。これはパイル糸を刺繍し、パイルの抜けを防ぐために、裏にラテックスゴムを塗布したものです。織物ではありませんので、ウィルトン織よりもはるかに効率がよく、あっという間に世界に広がりました」
村上敷物はタフテッドのじゅうたん、敷物が世界中で普及する中で、ウィルトン織に頑なにこだわってきた。その技術を継承し、国会議事堂や官公庁などの厳しいオーダーにも耐えて工夫、改良を加えてきたのだ。

一流ホテル、劇場、旅客機、高級車、新幹線
敷物本来の品質にこだわってきた村上敷物。特に「伝統」「品格」「厳格さ」を求める国会議事堂や官公庁の敷物の受注、生産によって鍛えられた技術力、対応力は、一流ホテルや劇場などの受注へとつながっている。昨今は旅客機や、高級車、新幹線のグリーン席などの敷物も手掛けている。
「民間企業は、官公庁と異なり経済性、効率性を考慮します。でも最高の顧客の満足を得るために、また違った厳しい要求があります。豪華さや品格なども求められます。そういうときに国会議事堂などで培った経験が活きてきます。そして何より『国会議事堂の赤じゅうたんを永年作ってきた』という『信用』は何よりも大きいですね」

足元に息づく物語

村上健は語る。「堺市は幕末に『堺緞通』という敷物が生まれ、明治期には日本中に有名になりました。この時期には大阪府の輸出額トップになったくらいです。戦後もウィルトン織、タフテッドなど多品種の敷物を生産してきましたが、近年は人件費が安い海外に生産拠点が移るなど、減少傾向にあります。私どもは『敷物王国』と言われた堺の伝統を受け継いでいます。」
「グッチやエルメスなどのブランド品を本当に愛する人は、そのロゴやマークではなく、その品への職人やデザイナーのこだわりを愛しているのでしょう。いわば『物語』を愛している。ここまでご紹介したように、私たちの敷物も、色、素材、伝統にこだわって作ってきました。そういう『足元に息づく物語』を、一人でも多くの方に実感していただきたいですね」
「大阪ブランド物語」その1より
取材、執筆:広尾晃